開発経済論: 人的資本

聖心女子大学国際交流学科
2024年秋学期

アジア経済研究所 伊藤成朗

はじめに

School enrollment rates, 2020

School enrollment rates, 2020

\[\mbox{就学率}=\frac{\mbox{就学者数}}{\mbox{就学年齢人口}}\]

Under 5 stunting rate, 2020

Under 5 stunting rate, 2020

Infant mortality rate, 2020

Infant mortality rate, 2020

人的資本とは

教育、訓練、健康(保健)など、人間の生産性を高める無形資産。

古くはアダム・スミスにその概念が見出されるが、近代になって提唱したのがアメリカの経済発展を研究したSchultz (1960, 1961)、賃金を職歴と教育水準に関連づける実証研究をしたMincer (1974)、最適な人的資本投資に関する理論的貢献をしたBecker (1962, 1964)など。

教育水準や保健指標が優れているほど所得は高いので、教育や保健の普及が所得を増やすかもしれない…

貧困の罠では経済全体が豊かになるメカニズムとその障壁を考えた

このセクションでは、個々の家計が豊かになるメカニズムを人的資本投資を通じて考える

被雇用者1人あたりGDP(労働生産性)

被雇用者1人あたりGDP(労働生産性)

出所: OECD

  • 中国、韓国、インドの労働生産性は急速に成長、ただし、インドの水準はまだ低い
  • 南アフリカとインドネシアの労働生産性は低く、成長も遅い
  • リーマン・ショックを引き起こしたアメリカは、ショック後も労働生産性が成長

被雇用者1人あたりGDP(労働生産性): 現在の高所得国のみ

被雇用者1人あたりGDP(労働生産性): 現在の高所得国のみ

出所: OECD

  • 日本の労働生産性はバブル崩壊後も1996年頃までアメリカと似た成長率、それ以降は差が拡大
  • 1990年代末期は就職氷河期、デフレの始まり(CPI, 1998年9月)
  • 2011年大震災以降、労働生産性は僅かに上昇したが、アベノミクス以降も成長せず、COVID-19蔓延以前の2018年から低下

1人あたりGDP

1人あたりGDP

出所: OECD

  • 1人当たりGDPは労働生産性とトレンドと近似
  • (ここでの)低所得国と高所得国の差は縮まっている
  • 南アフリカはインドネシアに追いつかれた
  • 1人当たりGDPでも日本は韓国に追いつかれた
  • 南アフリカは中国よりも労働生産性は高いが1人当たりGDPは低い

1人あたりGDP: 現在の高所得国のみ

1人あたりGDP: 現在の高所得国のみ

出所: OECD

  • 日本は1997年からアメリカとドイツとの格差拡大
  • 日本はアベノミクスの1年前から成長
  • 日本は労働生産性は低迷しているのに1人当たりGDPは成長
    • 就労人数(時間人)が増えたため

資本分配率(=資本報酬/国民所得=1-労働分配率)

資本分配率(=資本報酬/国民所得=1-労働分配率)

出所: Piketty, Saez, and Zucman (2018), Table A49より作成

  • 大戦期以降-1990年前後: 資本分配率は低下
  • 1990年前後-: 資本分配率は上昇
    • 人的資本は増えているのに労働分配率は低下
    • 生産物市場の独寡占化oligopoly+労働市場の独寡占化oligopsony?

Autor et al. (2020), Figure 1

Autor et al. (2020), Figure 1
  • 労働分配率は1980年代からすべての国で低下、日本では-7.143%低下
  • 1991-2012: 就業率*労働力率は-0.491%変化(次2枚のスライド)、1人あたりGDPは17.191%成長
  • 日本の労働分配率の低下の主な背景: 1人あたりGDP成長率(17.191%)よりも平均労働所得の成長率(10.539%)が低かったため
    • 就業率や労働力率の影響は小さい
    • 1人あたりGDPの増分から、労働者よりも多くを企業所有者が得た
    • 所有者と株主が富を増やした

\[ \mbox{労働分配率} =\frac{\mbox{労働所得}}{\mbox{GDP}} =\frac{\frac{\mbox{労働所得}}{\mbox{人口}}}{\frac{\mbox{GDP}}{\mbox{人口}}} =\frac{\frac{\mbox{労働所得}}{\mbox{労働者数}}\frac{\mbox{労働者数}}{\mbox{労働力}}\frac{\mbox{労働力}}{\mbox{人口}}}{\frac{\mbox{GDP}}{\mbox{人口}}} =\frac{\mbox{平均労働所得}\times\mbox{就業率}\times\mbox{労働力率}}{\mbox{1人あたりGDP}}. \]

Schultz (1960) の疑問と仮説

  1. 労働人口や資本の増加以上に生産が増えているのはなぜか
  • つまり、生産額/労働量=労働生産性、生産額/資本サービス価値=資本生産性が増えているのはなぜか
    • 国内総生産(GDP)/人口=1人当たりGDP(労働人口\(<\)人口だが国単位での労働生産性を近似)も増えている。
  1. 労働分配率はなぜ上昇しているのか(1960年当時)


人間への投資が労働生産性を高めているため

人間への投資の成果=人的資本human capital

人間を資本という物として捉えるのは当時(現在も?)「けしからん」

Becker (1964)Human Capital: A theoretical and empirical analysis, with special reference to educationなどと副題を付けた

人的資本の分類

知的能力
知識、技能
物的能力
健康
  • 知識と技能は性質が異なる
    • 技能: 人間に体化される→私的財
    • 知識: 社会に蓄積されて共有される→公共財: 他者の消費は競合しないし排除もできない
  • 健康は運動能力と感染源(!)に分けると性質が異なる
    • 運動能力: 人間に体化される→私的財
    • 感染源: 社会に広める→外部性のある私的財: 他者への影響が市場で価格評価されないので、個人の行動は他者への感染を考慮しにくい
      • 自分は軽症にしかならないから、感染予防努力を緩める
      • 「マスク着用を強要するのは自由の侵害」…自由のためなら感染する覚悟がある?

知識生産=研究開発(R&D)活動

模倣されると利益が減るので、知識生産は社会的に最適水準よりも少なくなりがち

特許patents、著作権copyright、商標trademarkなどで知的財産権を保護して少なくなりすぎないようにする

原則は理解されても、保護や違反摘発・懲罰の適切な水準に合意がない

  • キムリア(白血病やリンパ腫、1回投与で3349万円)、ザインテグロ(ベータ・サラセミア、米承認3億円)
  • 保護下で薬価を高くし過ぎたために利用が進まない: Truvada(HIV予防治療薬)
  • 低所得者対象で利益が少ない+模倣されやすいために開発が進まない: マラリア治療薬、結核治療薬などのneglected tropical diseases
  • 厳しい罰則(日本: 商標権を侵害した場合は10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金)、でも、生産地中国での摘発は…: 偽ブランド品販売
  • 著作権の保護期間を再三延ばすことで多額の利潤を保有権者が得る: ミッキーマウス(1923年生まれ、1998年期限切れ予定、1998年期限延長、2024年期限切れ予定[US])

人の中で知的能力はどのように成長するでしょうか How does intellectual capacity grow in a person?

学校教育を考えますLet us consider schooling

通学すると学習し、人的資本(知的能力)を蓄積し、生産性が高まりますIf you go to a school, you learn, you will accummulate human capital (intellectual capacity), and you will become productive

生産性が高いほど稼ぎが増えますThe more you are productive, the more you earn

では、できる限り長く学校に通うべきでしょうか?Then, shall we go to school as long as possible? いいえ、ある段階で止めて働かねばなりませんNo. You need to stop at some point and start to work

いつ止めるかどのように決めるべきでしょうかHow do we decide when to stop?

止めるタイミングを理解するには理論が必要になりますWe need a theory to understand.

Baland and Robinson (2000) モデル: 2期間モデルを考えますHere comes Baland and Robinson (2000): Let us consider a two-period model

第1期
子ども期: どのくらい学校に行くか、どのくらい働くか決めますYou choose how much to go to school, how much to work
第2期
成人期: 労働所得を得ます。成人期所得は子ども期の就学期間に応じて増えます。You earn. Adulthood income is increasing in childhood schooling.

合理的な子ども: 便益と費用を考慮して教育水準を決めるa rational child: weighs costs and benefits to decide schooling level

便益benefits
学歴を積むことによる成人所得増加分\(\times\)割引率increased adult income/discount rate
費用costs
学歴を積むことによる就学費用(=学費+制服・給食・通学その他費+児童労働所得)costs of schooling(tuition*school unifom+school meals+commuting costs+child labour incomes)

教育水準を決める=第1期の時間配分(就学 vs. 就労)を決めるdeciding on schooling level=deciding on time allocation (schooling vs. work) in period 1

単純化のため学費+制服・給食・通学その他費=0と仮定するfor simplicity, we assume all costs other than child labour income are zero

以下の場合、親は子どもが判断するよりも児童労働就労時間を長くして、子どもの児童労働所得で自分の効用を高めるUnder the following conditions, a parent may increase the work hours than the child would have and increases the parental utility with the child’s labour income

  • 親が子どもの成人期所得効用を子どもが感じるよりも割り引くとき(将来よりも現在の家族の幸せ)a parent discounts more of future utility (happiness of today weights more than of tomorrow)
  • 「成人したら仕送りを約束するから学校に行かせてほしい」と子どもが頼んでも、親が子どもの約束を信じないとき(子どもは将来裏切ることができるため)a parent does not believe that the child’s promise that he/she will pay back the costs in future
  • 意志決定者が子どもか親かによって人的資本投資額が変わるdepending on the decision maker, the amount of human capital investment may differ

教育の人的資本仮説: 学歴水準の決定=生産性向上手段

  • 人的資本仮説と補完的な見方:
シグナリング仮説
学歴水準の決定=(雇用者への)能力情報伝達手段(あくまでもシグナルであって、生産性を変えても変えなくてもいい)
  • シグナリング・モデルでは、就学や学習の費用が低い人ほど教育水準を高く選ぶ

人生効用最大化のために子どもは何を決めるか

第1期時間配分、第1期と第2期の間の消費配分

理解の段取り:

  1. 第1期時間配分を最適に決め、人生を通じて所得合計を最大化する
  2. 各期への消費配分を決める

ミクロ経済学: 限界収入=限界費用(MR = MC)

生涯効用を最大化する最適な学歴水準\(l^{*}\)(第1期の時間配分)は下記を満たすはず \[ \underbrace{\mbox{ 成人所得増加による効用増加分}}_{\scriptsize{\mbox{就学の限界収入(を効用評価)}}} = \underbrace{\mbox{ 児童労働所得減少による効用減少分}}_{\scriptsize{\mbox{就学の限界費用(を効用評価)}}} \]

第1期の時間配分は現時点での(限界)費用と将来時点の(限界)便益をバランスさせるように決まる

MR\(>\)MCのとき=\(l<l^{*}\)のとき、\(l\)を僅かに増やせば\(MR-MC\)だけ純利益を増やせる\(\rightarrow l\)を増やす

\(\because\)不等号ならば、\(l\)を増減することで限界的な純利益を拡大できるから。等号ならば、改善の余地がないということ。

連続関数の最大化: 限界収入=限界費用(MR-MC=0)、を図解できる (スライド: 微分)

References

Autor, David, David Dorn, Lawrence F. Katz, Christina Patterson, and John Van Reenen. 2020. The fall of the labor share and the rise of superstar firms.” The Quarterly Journal of Economics 135 (2): 645–709. https://doi.org/10.1093/qje/qjaa004.
Baland, Jean-Marie, and James A. Robinson. 2000. “Is Child Labor Inefficient?” Journal of Political Economy 108 (4): 663–79. http://www.journals.uchicago.edu/cgi-bin/resolve?JPE008402PDF.
Becker, Gary S. 1962. “Investment in Human Capital: A Theoretical Analysis.” Journal of Political Economy 70 (5): pp. 9–49. http://www.jstor.org/stable/1829103.
———. 1964. Human Capital: A Theoretical and Empirical Analysis, with Special Reference to Education. National Bureau of Economic Research; distributed by Columbia University Press (New York).
Mincer, Jacob. 1974. “Schooling, Experience and Earnings New York.” Columbia University.
Piketty, Thomas, Emmanuel Saez, and Gabriel Zucman. 2018. Distributional National Accounts: Methods and Estimates for the United States.” The Quarterly Journal of Economics 133 (2): 553–609. https://doi.org/10.1093/qje/qjx043.
Schultz, Theodore W. 1960. “Capital Formation by Education.” Journal of Political Economy 68 (6): 571–83. https://doi.org/10.1086/258393.
———. 1961. “Investment in Human Capital.” The American Economic Review, 1–17.